DJ shiki_game 's propaganda

音楽について広く扱うブログ

2018年11月9日(金)

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昨日のSWWスレに貼ったコラを載せておきますゥゥゥ。

 

昨日と同じく講義前に秋葉原タイトーステーション弐寺を2クレプレイ。やはり昨日あれほど判定が安定していなかったのはプレイ環境の問題だったようだ。店舗が狭いため音ゲー同士の距離が短く音が干渉しやすく、筐体からの音が聞こえづらいため上手く光らせることが出来なかった。これはコンプレッサーを発動することで音量を上げてプレイすることで改善した。今日もステップアップをプレイしたがコンフィとカイルアはLv5譜面としては初めてスコアランクAAを獲得することが出来た。EASYゲージで挑んだのだがNORMALゲージでも問題なかったと思う。

 

早稲田に着いた後はベンヤミンのレポート執筆のための参考文献探しをした。ベンヤミンの教育論についての本が見つかったのでテーマをメディアと教育論に決定した。以外にも図書館にはドイツのメディア史を概観する書籍や、戦間期のメディア文化に関する書籍が見当たらなかった。これら不足している要素はドイツの文化や歴史の本で補う事を検討中。『一方通行路』は、ひとつひとつのエッセイが短いものが多く読みやすく、表現も面白い。かなり鋭い視点で物事を捉えるベンヤミンはまさに鬼才。まだ読破はしていないが、いくつか気に入った箇所を引用してみよう。

当今は、自分の「能力」 なんぞにこだわってはいけない。即興にこそ力がある。すべからく試合を決めるのは、左パンチではなかろうか。

                 『一方通行路』より「中国物産店」

 このエッセイの主題は、原典(テクスト)の理解はただ読むだけでは出来ず、書き写してこそ真に理解できるというところにある。引用部分は冒頭だが、いかにもベンヤミンらしい始まり方と言える。

ぼくはゲーテと並んで座をとった。食事が済んだとき、かれの立ち上がるのがいかにも大儀そうだったので、手を貸そうと、手真似で許しを請うた。かれの肘に触れたとき、ぼくは感きわまって泣き出してしまった。 

                  『一方通行路』より「113号館」

 いきなりゲーテが出てきて何事かと思うだろう。もちろんゲーテベンヤミンは生きた時代がかなり離れているが、これはベンヤミンが見た夢について書かれている。夢の中でベンヤミンゲーテの館へ入り、仕事部屋を見たり一緒に食事をしたり夢の中でゲーテと交流したらしい。ベンヤミンは『ゲーテの親和力』を著しており、畏敬の念を抱いていたのは間違いない。それにしてもすごい夢を見たものである。

別れを告げる者の方が、愛されやすいとは、いったいどういうことだろう。それは、去って行く者のために燃やされる火の方が、あの、つかの間船や汽車の窓から打ち振られるもののせいで、より純粋に燃えるからである。遠ざかるということが、なにか染料みたいに、小さくなってゆく者のなかにしみ透り、かれを穏やかな熱に浸すのだ。

                   『一方通行路』より「旗――」

 これは全文引用した。普段は見向きもしないのにいざなくなるとなると騒ぎ立てたりする輩が今も多く散見される。いつでも見れたものが一生見れなくなるものになると、価値は急上昇する。昔から人間の変わらない習性のようだ。なお、これらは全て晶文社ヴァルター・ベンヤミン著作集10  一方通行路』からの引用である。前の記事で古い本だから訳が心配だと書いたが、今日借りてきた本には『著作集』の訳は優れているとあったので、レポート用にもこの本の訳を使うことにした。