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読書備忘録(2018/11/12)『サウンドスケープのトビラ―音育・音学・音創のすすめ』

図書館で借りた本は、返却しなければいけないうえに、借りられる期間も大して長くないため複数回読むことは難しく、内容も忘却してしまいがちである。かといって期間を延長したり、また借りたりといったことは、他の利用者の事も考えるとあまり頻繁に行いたくないことである。

 

せっかく借りたのだからある程度内容は覚えておきたいものである。そこで、1冊読み終わるごとに、読み終わった日付と、簡単な内容と感想を備忘録として記事にしていきたいと思う。冒頭で図書館で借りた本といったが、読む本はこれに限定しない。

 

備忘録の最初を飾る本は小松正史『サウンドスケープのトビラ―音育・音学・音創のすすめ』である。なんとなく戸山図書館の音楽関連の棚を眺めていたところ、目に入ったので借りてみた本である。

 

基本情報

タイトル 『サウンドスケープのトビラ―音育・音学・音創のすすめ』

著者    小松正史

発行    2013/1/30

ISBN     9784812212394

出版社   昭和堂

判型    A5

ページ数  208ページ

定価    2800円+税

 

目次

第1章 サウンドスケープを知る―音風景の真相にせまる

サウンドスケープの定義と問題点

サウンドスケープを再定義する

サウンドスケープが影響を与えた分野

第2章 《音育》音の教育―聴覚を磨き、音のイメージを記録する

・音育の効果と問題点

・音の知覚を追う

・音育メニューの種類

第3章 《音学》音の学問―現場の音を調査・分析・解釈する

・音学の効果と問題点

・音学の行くべき方向性

・音学の方法論

第4章 《音創(一)》音デザイン―現場の摂理に見合う音創りに挑む

・音創の考え方と事例

・音デザインの対象・方向性・手順

・音デザインの空間別アイデア

第5章 《音創(二)》背景音楽の表現活動―代償音楽としての背景音楽

・背景音楽の定義と考え方

環境音楽とBGM―ミューザックからBGMへ

環境音楽アンビエント・ミュージック―ソーシャルな音楽を目指して

・背景音楽を越えて

終 章 サウンドスケープを活かす道はあるのか

 

概要

本書は、長年サウンドスケープに関わる活動をしてきた著者が「サウンドスケープ」という概念について、及びサウンドスケープの可能性や問題点、限界点を明らかにする本である。第1章では「サウンドスケープ」の定義や、混同されやすい「サウンドスケーピング」との違いなど、サウンドスケープの基本を述べる。第2章から第4章までは、実際のサウンドスケープの活用方法、抱える問題点を、公園でのサウンドスケーピングや、病院内での問題等具体例を挙げて記述している。第5章は、サウンドスケープから派生した音楽ジャンルについて。終章では今まで書いてきたサウンドスケープの現状及び問題点を総括し、何をすべきかを述べる。各章の前半では具体例等の説明、後半では問題点の指摘・批判という構成。そのためあとがきにも書かれている通り「サウンドスケープ」の現状批判、問題提起が本書の主題である。

所見

 筆者が特に注目したのは第5章である。ここでは背景音楽・環境音楽アンビエントミュージック等の音楽ジャンルについての議論が進められている。筆者のような人間は、アンビエントミュージックの起源についていては知っていても、「クラブミュージックとしてのアンビエント」という視点から眺めがちである。本書では、誤解されがちなアンビエントについて我々に教えてくれる。

 日本語では「環境音楽」と訳されることが多いが、アンビエント・ミュージックは環境音楽と同じではない。(中略)しかもアンビエントの名詞形である「アンビエンス(ambience)」は、「雰囲気」「気配」「周囲」「外界」などの意味があり、広義な意味を含めている「環境」とは大きく隔たっている。アンビエント・ミュージックは「雰囲気音楽」や「気配音楽」などと表現するほうが、原語の意味合いを反映しているだろう。

                           ―第5章より

 確かにアンビエントといえば環境音楽と説明する雑誌やサイトも多い。wikipedia(日本版)ではアンビエント・ミュージックの項目はないが、曖昧さ回避のページでは思いっきり「環境音楽のこと」と書いてしまっている。派生ジャンルについても概要の部分で「環境音楽的な」等書かれているが、これは間違いということになる。

 

さらに本書では、既存のアンビエント・ミュージックが、環境音楽やBGMといった既存の用語を凌駕できず、あまり一般には広まらずあまり目立たない(クラブミュージックという意味では有名なのだが)ジャンルになってしまったのかを分析している。

①非現実的で特殊な音色を使う傾向があり、公共空間では使いづらいこと、②制作された(あるいは自己生成された)音源が音響機器で再生されるため、他の背景音楽との区別が難しいこと、③公共空間の空気感に調和した音色や響きを創り出せなかったこと、④施設の運営者とのやりとりや対象空間での現場観察が少なかった(あるいはなかった)こと、⑤楽曲表現の独創性や特殊性を優先させたこと、が考えられる。

                           ―第5章より 

 spotifyでは国内外のアーティストによるアンビエント・ミュージックを聴けるが、本書に従えば音楽的・商業的には優れた曲であっても、アンビエント・ミュージックの本質からはかけ離れたものばかりということになる。確かにアンビエント・ミュージックはシンセサイザー等の電子楽器が多用される傾向にあり、生楽器でもリバーブやディレイなどの空間系エフェクトによって味付けされたものばかりだ。ターゲットとなる空間に合えばいいのだが、それを無視して作者の好みによって使われている場合には、本当の意味でのアンビエント・ミュージックは成り立たない、と注意を喚起している。「アンビエント・ミュージック」の概念を提唱したブライアン・イーノも、本書でも述べられているように独創性を意識し過ぎたために、『ミュージック・フォー・エアポーツ』はアンビエント・ミュージックとしては失敗に終わってしまう。クラブミュージックとしてアンビエントを作る場合も幻想的な音色を作ることに腐心したり、作家性を意識してしまったりすることが多いと思う。本来ならばそれを流すクラブに合うように作るべきで、自宅なりスタジオなりで、特定の場所をテーマにしないで作るのはNGであるといえる。第5章自体は短いのだが、この章からだけでもかなりのことに気づかせてもらったと思う。